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仙台地方裁判所 昭和50年(ワ)524号 判決

原告

内出忠雄

ほか一名

被告

高橋庄二

ほか二名

主文

一  昭和四七年(ワ)第九一六号事件について。

原告の請求を棄却する。

二  昭和五〇年(ワ)第五二四号事件について。

1  被告高橋庄二は、原告内出忠雄に対し、金二三六万三、四八九円、原告内出淑子に対し、金二一六万八、四八九円及び右各金員に対する昭和四七年七月三〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  原告等のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、原告等と被告高橋庄二との間においては、原告等に生じた費用の二分の一を被告高橋庄二の負担とし、その余は各自の負担とし、原告内出忠雄と被告高橋はつね、同高橋利雄との間においては、全部原告内出忠雄の負担とする。

四  この判決は、原告等の勝訴部分に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

(一)  昭和四七年(ワ)第九一六号事件について

1 被告等は連帯して原告に対し、金九九五万四、三八〇円及びこれに対する昭和四七年一一月二三日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2 訴訟費用は被告等の負担とする。

3 仮執行宣言。

(二)  昭和五〇年(ワ)第五二四号事件について

1 被告は、原告内出忠雄に対し金六八一万一、三四三円、原告内出淑子に対し金五一一万一、三四三円及び右各金員に対する昭和四七年七月三〇日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2 訴訟費用は被告の負担とする。

3 仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

(一)  昭和四七年(ワ)第九一六号事件について被告等全員

請求棄却

(二)  昭和五〇年(ワ)第五二四号事件について

1 原告等の請求はいずれもこれを棄却する。

2 訴訟費用は原告等の負担とする。

3 (予備的)仮執行免脱の宣言。

第二当事者の主張

一  請求の原因

(一)  昭和四七年(ワ)第九一六号事件について

1 原告は被告等と、昭和四七年七月三〇日に、前日原告の次男訴外内出力(当時四才)が、被告高橋庄二運転の自動車によつて死亡せしめられたことにつき、左記のとおり示談した。

(イ) 被告高橋庄二は原告に対し、右事故につき金一五〇〇万円を昭和四七年九月五日、同年一一月五日、同年一二月五日に各現金にて五〇〇万円あて支払う。

(ロ) 各支払については、被告高橋利雄、同高橋はつねが連帯保証した。

2 しかるに、被告等は今日に至るまでその支払をしない。ところで、原告は、自賠責保険につき、被害者請求をした結果、昭和四七年一〇月一七日金五〇四万五、六二〇円が支払われたが、当金員は、本件示談金一五〇〇万円に含まれるものであるから、これを控除した残額五〇四万四、三八〇円及び右金員に対し、訴状送達の日の翌日である昭和四七年一一月二三日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(二)  昭和五〇年(ワ)第五二四号事件について

1 被告は、昭和四七年七月二九日午後八時三五分頃、古川市駅前大通り五丁目四の二二先路上において、原告等の長男訴外内出力に、被告運転の小型乗用自動車(宮五ほ一一八九、以下加害車という。)を衝突させ、翌三〇日死亡せしめた。

2 被告は自賠法三条に、いわゆる加害車の保有者として損害賠償の責任を負う。

3 訴外内出力の死亡により、原告等の被つた損害は次のとおりである。

(イ) 訴外内出力の逸失利益

昭和四七年度賃金センサス男子労働者によれば

所定内給与額 月七万九、〇〇〇円

年間賞与額 二八万八、二〇〇円

生活費控除率 五〇パーセント

したがつて、年間給与額は六一万八、一〇〇円である。

算式(79,000円×12月+288,200円)×0.5=618,100円

訴外力は死亡当時四才であるが、同人は一八才から六七才まで五〇年間就労可能であるから、ホフマン式係数によりその中間利息を控除して現価を計算するとその逸失利益は一、五二六万八、三〇六円である。

算式 618,100円×24,702=15,268,306円

(ロ) 原告忠雄の損害

葬儀費、治療費等 五〇万円

(ハ) 原告等の慰藉料

訴外力は出来の良い子であつて、これからの成長が楽しみの時本件事故にあつたもので、そのシヨツクは大きく、慰藉料としては各金二〇〇万円が相当である。

(ニ) 弁護士費用

被告は本件損害の支払につき、任意に履行しないので、本件訴訟のやむなきに至つたもので、原告代理人に対し、着手金として各金二〇万円あて支払つている。

4 原告等は、前項の損害のうち、訴外力の逸失利益については、各々二分の一たる金七六三万四、一五三円あて相続したので、これに前項の各自の損害に加算すると、

原告 内出忠雄の損害額は 一〇三三万四、一五三円

原告 内出淑子の損害額は 九八三万四、一五三円

となるところ、自賠責保険より五〇四万五、六二〇円を受領しているその二分の一たる二五二万二、八一〇円をそれぞれ控除すると、原告忠雄の損害は七八一万一、三四三円、原告淑子の損害は七三一万一、三四三円となる。

5 よつて、請求の趣旨のとおり請求する。

二  請求の原因に対する認否

(一)  昭和四七年(ワ)第九一六号事件について

(被告庄二、同はつね)

1 請求原因第一項中、原告主張の如き、自動車事故につき、示談書を作成したことは認むるも、被告利雄が連帯保証したことは否認する。

2 同第二項中、原告等が自賠責保険より五〇四万五、六二〇円を受領したことは認める。その余は争う。

(被告利雄)

1 請求原因第一項中、被告庄二が事故を起し、訴外力が死亡したことは認める。被告が連帯保証したことは否認する。その余は不知。

被告は連帯保証したことも、また連帯保証契約をすることを委任したことも追認したこともないのである。

2 請求原因第二項についての認否は、被告庄二、同はつねの認否と同じ。

三  被告の主張

(一)  昭和四七年(ワ)第九一六号事件について

1 示談書作成の経過

イ 昭和四七年七月三〇日、被告庄二、同はつね、その親せきである訴外千葉忠雄、星新治郎、高橋栄が、焼香かたがた葬儀費用をもつて、原告宅を尋ねたところ、原告等から強く示談書の作成を要求された。

被告等は、事故(その前夜)、そして被害者の死亡(その当日)と云うことで、気も動転していて、損害金、慰藉料額の算出又はその相場(妥当性)などについては、全く考えていなかつたと云うより、そのような考えにはおよんでいなかつたのである。

したがつて、被告等は、損害賠償は誠意をもつて当るから、もう少し間をおいてくれるように懇請したのであるが、原告の実兄と称する訴外内出武雄(原告の代理人又は原告家の代表者とも称していた)より、「自分は仙台で交通安全協会の理事をしているので、保険関係についてはよく知つている。自賠責保険五〇〇万円、任意保険一、〇〇〇万円を受領するようにしてやる。被告等には手出し(註、手許金から出すこと)をさせない。保険金は示談をしないと請求できないから、このような示談書を書いて押印するように。」と示談書の下書を示してその作成を迫られ、また、被告庄二等は、父(被告利雄)にも相談せねばならないし、保険会社(保険者)とも打合せしたいから、もう少し待つてくれるようにと再三懇請したが、原告等に、「このような示談書を書けば、保険会社からは必ずとれる。示談書なくしては、保険金は出ないから早くするように。」と迫られ、更に印鑑を持つてきていないから書面作成は後にしてくれと云うと、「印鑑を買つてくるように。」と執拗に要求された。

被告等としても、保険金が出て、手出しをする金がないなら、いいだろうと考え(勿論被告等としては、原告等の、保険金全額出ると云う言葉を信じて)、その場で、同行した訴外高橋栄が、示された下書に基づき、被告庄二は損害金合計一、五〇〇万円を支払う、被告利雄、同はつねが連帯保証するが如き内容の示談書を作成し、被告はつねが近所の印舗で買い求めた有合印(全員の印鑑)を押印したのである。

ロ ところが、その後、交通事故の損害額の算定には、一応の基準があり、所謂妥当な額と云うものが算出されるものであり、また保険金は個別的に算出された額だけが支払われるものであつて、加入保険金額全額が支払われるものでないことを知るに至り、被告等は昭和四七年八月三〇日付内容証明郵便をもつて、右示談契約の取消の通知をなしたのである。

ハ ちなみに右訴外人の逸失利益を算定すると、仮りに就労可能年数を四〇年間、就労開始一八才、年間賃金月額四四、三八四円(全国平均賃金)、生活費二分の一とすると、約四〇〇万円位である、それより更に成長するまでの養育費を控除すると更に少なくなる、また、これより過失相殺すると更に少ない額となるのである(慰藉料を加えても、示談書による金額の三分の一強に過ぎないものとなる)。

2 抗弁

(通謀虚偽表示)

以上の如く、右示談は、保険金請求のために相通じてなした虚偽の意思表示であるから無効である。

(詐偽、強迫)

仮りに然らずとするも、右示談は、原告及びその代理人内出武雄等の詐術、又は強要によるものであるから、被告庄二、同はつねは、昭和四七年八月三〇日、右の意思表示を取消したものであるから、被告等には、右契約に基づく如何なる義務も負担していないのである。

(錯誤)

仮りにいずれも、その理由がないとしても、右示談は、被告庄二、同はつねは、原告等の云う通り、保険金が、全額出ることを信じてなしたものであるから、右示談は、民法第九五条により無効である(被告等としては、原告等の云う通りに、保険金一、五〇〇万円が出ないものとせば、このような示談をなす意思など全くなかつたのである)。

また、被告等はこの事故によつて(被告の過失に基づき)被害者等が蒙つた損害額が、原告等の言い分の通り一、五〇〇万円前後になるものと信じて(誤解して)なしたものであるから(実際の損害額は右の如く五〇〇万円前後)、その点についても錯誤があり、しかもその錯誤は法律行為の要素に当るので無効である。

(二)  昭和五〇年(ワ)第五二四号事件について

(過失相殺の抗弁)

1 被告は小型乗用自動車(宮五ほ一一八九)を運転して昭和四七年七月二九日午後八時三五分頃交通頻繁な場所である古川市駅前大通り五丁目四番二二号先付近道路を古川駅方面へ向つて時速約五〇キロ米でややセンターライン寄り付近(自己の走行車両通行帯の)進行していたが、対向車があつたので、ライトを下向にやや減速してすれ違つたとき、対向車の後方から道路を右側から左側に向つて(加害車の進行方向に向つて)走つて横断している訴外内出力(当時四才)を発見し、直ちに急停車の措置をしたが間に合わずセンターラインから左側へ約一・五米位の地点(被告の進行車両通行帯の内側)で加害車の前部右側部分が右訴外人と接触、転倒し、右訴外人は脳挫傷等の傷を負い、翌三〇日古川市内高橋医院において死亡したのである。

2 右の事故現場は交通頻繁な場所であつて、その付近は横断すべき場所ではない、訴外内出力は、自宅(加害車進行方向の右側にある)から、その反対側(道路反対側)空地で花火遊びをしていた兄等のもとへ行くため対向車(被告から見て)のすぐ後を他の交通などに気を配ることなく直線に横断し、加害車の前面に走り出したのである。

右訴外人は当時四才(昭和四三年六月一三日生)であつたから道路交通の諸規則などは勿論、自動車の危険などについても、これを弁識する知能を具えていなかつたかも知れないが、しかし、原告等は親権者として危険な場所への出入などには充分に監督する義務があつたのである。ところが前記の如く、右訴外人を一人で交通頻繁な道路上に出し、その結果通行車両の直前を横断しようとしたのである。

3 右のように本件事故は主として右訴外人及び原告等の重大な過失によつて生じたものである。もし仮に被告にも何らかの過失があつたとしても、原告側の過失と比較すると、原告側に如何に有利に見ても、その割合は五対五と見るべきである。

したがつて、被告はその割合による負担分以外に賠償する義務がないものである(即ち、原告等の過失分については過失相殺がなされるべきである)。

四  抗弁に対する認否

(昭和四七年(ワ)第九一六号事件につき)

いずれも争う。

第三証拠〔略〕

理由

第一  交通事故の態様につき判断する。

一  原告内出忠雄、同内出淑子及び被告高橋庄二の各本人尋問の結果ならびに成立に争のない乙第一、二号証を総合すると次のことが認められる。

1  被告庄二は、昭和四七年七月二九日午後七時四〇分頃、加害車を運転し、古川工業高校方面から古川駅方面に向つて時速五五キロメートル位の速度で進行し、古川市駅前通り五丁目四の二二先路上に差しかかつた際、対向車のライトに眩惑されて前方の注視が困難となり、就中対向車後方の状態が殆んど見えなくなつたにも拘らず、速度を緩めることなくその儘の速度で進行したこと。

2  右庄二は対向車と擦れ違つた後約一秒位して視力が回復して間もなく、道路中央線付近から走つて来る子供を発見したので、左側にハンドルを切つて、急ブレーキをかけたが間に合わず、進行車線上の略中央付近で加害車と原告等の二男訴外力とが衝突したこと。

3  訴外力は約一七メートル位前方にはね飛ばされてしまい、直ちに病院に収容されたが翌三〇日未明死亡したこと。

4  本件事故の原因は、被告庄二が前記の如く対向車のライトに眩惑されて、前方注視が困難となり特に対向車の後方の様子が注視し難くなつたのであるから、この様な場合自動車運転者としては減速徐行して前方を注視すべき注意義務があるにも拘わらずこれを怠り、その儘の速度で進行した過失に基づくものであること。

5  事故現場付近の道路は、車の往来が頻繁なので、道路を横断するときは、いつも母親が子供の手を引く様にしていたが、事故当夜は、夕食後、訴外力は、母親の原告淑子及び兄の訴外努の三人で、道路南側にある宮城交通の空地で花火を上げていたのでそれを見に行こうとし、右淑子は兄の努と手をつなぎ、努は更に力と手を継ぐという状態であつたところ、力は足踏みしつつ、「お母ちやん早く。」といいざま、一人手をはなし、先に道路に出てしまつたために車と衝突してしまつたこと。

二  ところで、原告忠雄は、同本人尋問において本件事故につき、訴外力の倒れていた位置は乙第一号証(実況見分調書)添付図面の〈ウ〉(同図面の加害者進行車線上で、中央線より稍内側に表示されている。)ではなくて、中央線を越えた対向車線上であること、また加害車のブレーキ痕は中央線より一尺位対向車線に入つたところにあり、したがつて、ぶつかつた位置は対向車線上であることをそれぞれ陳述し、これに見合う如く、原告淑子も、同本人尋問において、「私は事故直前車が前後して二台来るのを見た。その中の手前のクリーム色の車が力をはねたのである。そのクリーム色の車は進行車線内ではなく、センターラインを越えて右側に出て走つていた。その車の前に、車がいたかどうかは分らないが、クリーム色の車は先行車でもいたのを追越そうとする直前の状態の様に思えた。」旨の陳述をしていることからは、恰も本件事故が、被告庄二の無理な追越しが原因で対向車線上で発生したかの如く見受けられるところである、しかしながら、訴外力の倒れていた位置とされた右図面上の〈ウ〉地点は、右力が病院に既に収容されてしまつた後行なわれた実況見分の際、立会人たる被告庄二の記憶に基づいて記載されたものと推測されるので、正確な位置を示しているか否かは疑わしいとしても、加害車のブレーキ痕は、実況見分をした警察官が路面に顕出されている現実の状況を見分し、それを図面に表示したものと推定されるところ、右図面上には、加害者の進行車線上の略中央付近を始点として同車線に接する路側帯に向つて左斜前方に二条(右側二四・三米、左側二二・五米)の波線で表示されていることからは、事故当時加害車が対向車線上を走行していたとは認め難く、したがつて、右原告等の陳述はいずれもこれを採用し難く、他に前記認定を覆すに足りる証拠はない。

第二  示談の効力について判断する。

一  証人千葉忠雄、同高橋栄、同星新治郎の各証言及び被告高橋庄二、同高橋はつね同高橋利雄各本人尋問の結果ならびに、いずれも被告庄二、同はつねの作成部分については争がなく、その余の部分については、証人高橋栄の証言より成立の認められる甲第一号証及び第二号証及び成立に争のない甲第三号証ないし第六号証を総合すると次のことが認められる。

1  本件事故発生の連絡を受けた被告利雄、同はつね等は、直ちに訴外力の入院先病院に行き、深夜まで同院にいた後帰宅したが、翌三〇日未明、訴外力の死亡を電話で知らさせるや、被告はつね、同庄二は、訴外星新治郎の運転する車で原告等宅に赴き、午前六時頃到着したこと。

2  原告宅では祭壇の準備中の為、被告等は暫時待たされたが、焼香を済ませた後、帰ろうとしたところ、訴外内出武雄に「こうなつてしまつたのだから、誠意を尽くして貰うしかない。」「口先だけでは分らないから念書を書いてくれ。」等といわれた。被告はつねは、車の中で待つている訴外新治郎にも相談し、訴外武雄等と話合いを行なつたが、その際は合意に達せず、その儘別れたこと。

帰宅後、被告はつね等は原告宅での出来事を被告等宅に集つていた親類の者に相談したが、その際被告利雄は頭が痛いといつて寝ていたこと。

3  その日(三〇日)午前一〇時頃、今度は、被告はつねが葬儀料一〇万円を携帯し、被告庄二及び訴外千葉忠雄、同栄が訴外新治郎の運転する車で同行したこと。

4  焼香後、原告側では主として訴外武雄と被告等との間で、再び念書の話となり、約一時間位押問答の末、結局は書かざるを得ない状況となり、また、被告等は、加害者として或る程度の誠意を尽くすつもりで訴外武雄の下書きした文案で甲第二号証の通りの念書を訴外栄が作成し、各自が拇印を押した(但し、被告利雄名下の指印は誰によつて顕出されたか不明である。)こと。

5  念書作成後帰宅しようとしたところ、任意保険に入つているならば、示談書を作つて貰いたいと訴外武雄に言われ、被告等としては、保険金が下りるかどうかも不明であるし、また、被告利雄にも相談しなければいけないので、書けないと断つたが、約二時間位書け、書けぬと押問答が続き、その間訴外武雄により、「保険金がおりるから一切手出ししないで、保険の方でまかなうように私らの方もしてやるから………」とか、「早く示談書を出して手続きすれば、保険金も早くおりるから、もしおりない時は私らも協力してやるから。」とか、色々と説得され、また、支払時期も、「示談書書いて、それで保険会社に請求すれば、おそらくこの期間ぐらいで来る。」というような話がなされたこと。

6  被告等としては、いつまでたつても帰れそうもないし、賠償金は全て保険金でまかなわれ、手出しする金はないということなので、結局甲第一号証の通り、訴外武雄により文案を示される儘、訴外栄により示談書が作成されたこと。

なお、原告等宅へ行くに当り、誰も印判を持参して行つた者はなく、被告はつねが印判を買求めに行き、それらにより各人名下に捺印されたものであること。

7  被告利雄はその席に居なかつたが、父親だから入れなくてはということで記載されたこと。

8  示談書が作成されたところへ、訴外大浦が来て、各支払日の金員の下に括弧書きで現金と挿入したこと。

9  示談書が作成されたのは午後三時頃であるが、その間食事も摂らず、作成しない限り帰宅できないような雰囲気であつたこと。

10  帰宅途中、示談書の内容につき不安を感じた被告等は、訴外栄の友人で、以前交通事故を起し、示談書や保険に知識のある者に確認したところ、この文章では一方的だから取消して貰つた方が良かろうといわれ、再び原告宅に引返したが、原告忠雄に兄に全て任せてあるから、話があるなら八月一日火葬の日兄が来るからその時話してくれといわれたので、その日はその儘帰宅し、一日置いた八月一日、改めて原告宅付近にある旅館清月において示談書の取消を話そうとしたところ、訴外武雄に示談書のことなら一切決つたことだから、全然話しする余地はないといわれ、同人が帰つてしまつたので、話しにならなかつたこと。

11  その後、示談書の取消しを回つて、原、被告間で数度内容証明郵便(甲第三号証ないし第六号証)のやりとりがなされたこと。

二  ところで、原告忠雄は本人尋問の際、甲第二号証については、被告はつねは、「お父さんはこの事故で頭が痛くなつて寝てしまつたので、私達が一任されて来た。」といつて、被告名下の拇印は同人がした、念書作成後、保険が一、五〇〇万円入つている、それから全部償いするから何とかしてくれ等と自発的に言つた、保険金が出ない時は米代から支払うという被告はつねの提案で支払期日が決つた等と陳述し、また、証人内出武雄も念書を書いて貰つた後刑事責任の話がなされ、その後、被告はつねから示談して下さいという話が出た、旨陳述しており、右の各陳述からは、示談の話も極めて円滑になされた如くである。

しかしながら、前記認定の如く甲第一号証に示される内容は、それ程複雑とも見受けられないにも拘わらず、作成に至るまでにかなり長時間かかつていること、その間食事も摂られていないこと、念書の作成や、示談に積極的であつたというのであれば、原告宅へ行くに当り、当然印判を持参した筈であることが考えられるのにも拘わらず、誰一人として持参した者はなく、結局被告はつねが近所の印判屋で五人分を一括購入していること、示談書作成後間もなく内容に疑問を感じた被告等は、原告宅に引返し取消方を申入れていること、本件示談の交渉が、訴外力の死亡した当日に、その祭壇を前にして行なわれていることから、両当事者が冷静さを欠いていたものと推測されること等から、右原告忠雄及び証人武雄の各陳述はいずれも措信し難く、他に前記認定を覆すに足りる証拠はない。

三  結局、甲第一号証の示談書は訴外武雄の前記認定の如き説得により、賠償金は全て保険により支払うということを前提にしての示談であつて、支払方法は、右示談においては、金額、履行期等と共に、重要なる要素であると認められるところ、保険金の支払は、事故における責任の割合、被害者の逸失利益の多寡、慰藉料の額等種々の要素に基づいて計算され、支給が決定されるものであつて、それを専門としない者には予測のつき難いものであること、証人内出武雄の証言によれば、同人は全国交通事故救済協会の理事を勤めていることが認められ、したがつて、保険事務については被告等に較べてかなりの知識を有していると推定されるにも拘わらず、右の様な保険の仕組みについて説明された様子が見受けられないことからは、被告等はあくまでも示談金は保険によつて支払われるという認識の下に本件示談の意思表示がなされたものであり、その点被告等の右意思表示は錯誤に基づくものであるから、示談は無効であると認められる。

また、被告利雄については、本件示談交渉の席に出席せず、示談書に記載された氏名の記載も他人によつて為されたもので、特に同人において右示談の内容を追認したという事情が認められないから、右示談書の内容が被告利雄に対し効力を生ずるということはない。

よつて、原告忠雄の被告利雄、同はつね、同庄二に対する本件示談金の請求は理由がないものと認められる。

第三  原告内出忠雄及び同内出淑子の被告高橋庄二に対する本件交通事故に基づく損害賠償請求について判断する。

一  本件事故の発生については、被告庄二につき、前記第一において判断した如き過失の認められるところである。

なお、弁論の全趣旨より、加害車の保有者は、被告庄二であると認めるので、同人は自賠法三条により本件事故によつて生じた原告等の損害につき賠償責任を負うものと認められる。

二  そこで、原告等の損害につき判断する。

原告忠雄及び同淑子各本人尋問の結果並びに成立に争のない甲第七号証(財団法人労働法令協会発行「賃金センサス・賃金構造基本統計調査・労働省統計情報部」、以下賃金センサスという。)を総合すると、本件事故と相当因果関係のある損害は次のとおりであると認められ、他に右認定に反する証拠はない。

1  訴外力の逸失利益

訴外力は、本件事故当時満四才の健康な男児であつたから、本件事故に遭わなかつたならば、高校を卒業した後、一八才から六五才まで稼働し得たものと推認されるところ、右賃金センサスにおける全労働者の「きまつて支給する現金給与額は七万五、四〇〇円であり、年間賞与その他の特別給与額は二三万八、五〇〇円であるので、その年間給与額は合計一一四万二、三〇〇円である。生活費として、右の給与額から二分の一を控徐し、ホフマン方式により年五分の割合による中間利息を控除して本件事故当時における逸失利益の現価総額を求めると、九八一万九、三八二円となる。

算式(75,400円×12月+238,500)×0.5×17.1923=9,819,382円

2  原告等は訴外力の父母であり、右力の逸失利益につき、各二分の一に当る四九〇万九、六九一円あてそれぞれ相続した。

3  原告忠雄の支出に係る葬儀費用、治療費は、前記証拠ならびに弁論の全趣旨より三〇万円が相当であると認められる。

4  原告等の慰藉料は、前記証拠ならびに本件事故の態様、訴外力の年令等を勘案して各々二〇〇万円が相当であると認める。

5  過失相殺

本件交通事故の発生については、被告庄二に過失の認められることは既に述べた通りであるが、同時に前記第一の5で認定した如く訴外力が兄の努の手をふりほどきざま道路に出たこともまた原因であると認められるところである。

訴外力は当時四才であり、事理の弁識能力があるとは考えられず、したがつて同行する母親の原告淑子において本件道路は車の交通が頻繁な箇所であることを十分認識しており、平素は自ら手をとつて横断していた事情も伺うことが出来るのであるから、訴外力の安全な横断について十分な注意を払うべきであつたと考えられる。

この様に本件事故は被害者側にも過失が認められ、その程度は概ね三割五分と認めて、原告等の損害算定につき斟酌すると、原告忠雄については、右2、3、4の合計金七二〇万九、六九一円から略三割五分を控除した四六八万六、二九九円をもつて本件事故による損害額と、また原告淑子については、2、4の合計金六九〇万九、六九一円から略三割五分を控除した四四九万一、二九九円をもつて本件事故による損害額と認められる。

6  損害の填補

原告等が自賠責保険から保険金五〇四万五、六二〇円を受領したことは当事者間に争がなく、したがつて右保険金の二分の一に当る二五二万二、八一〇円を各自の損害額より控除すると、原告忠雄については二一六万三、四八九円、原告淑子については、一九六万八、四八九円がそれぞれの損害額である。

7  弁護士費用

本件訴訟の難易、請求額と認容額その他諸般の事情を勘案して、弁護士費用は原告両名につき、各二〇万円をもつて相当と認める。

8  以上により、本件事故に基づく原告忠雄の損害額は二三六万三、四八九円であり、また原告淑子の損害額は二一六万八、四八九円であると認める。

第四  よつて、昭和四七年(ワ)第九一六号事件につき、原告忠雄の被告庄二、同はつね、同利雄に対する本件請求は理由なしと認め、これを棄却することとし、また、昭和五〇年(ワ)第五二四号につき、原告等の被告庄二に対する本訴請求は、原告忠雄については二三六万三、四八九円また、原告淑子については二一六万八、四八九円及び右各金員に対する昭和四七年七月三〇日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を求める限度でこれを理由ありとして認容し、その余の請求はこれを理由なしとして棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用し、仮執行免脱の宣言はこれを付さないこととして主文のとおり判決する。

(裁判官 土田敏男)

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